今後の戦争、闘いは闇へ移る

ふと先日テレビで見た広島原爆の風景を思い出した。
人が焼かれている映像を見ながら、尚もスパゲティやハンバーグを食べれる骨太な神経は
絶対に親父の責任だと思う。
 
それはおいといて、今後原爆の投下の可能性を考えると
なんとなく可能性は低いのではないだろうか。当然人類の将来の長さを考えれば
無いとは言えないだろう。
しかし当時の原爆と現在の水爆では威力が違う。
使えば正に国が滅び、回復は不可能な状態になってしまうであろう。
当然それが理解出来ているからこそ、戦争に使う事をいままで躊躇してきたのだが
もうひとつ問題が出てきている。
 
それは攻撃がテロ化している。政治的な問題は国と国ではなく民族同士の闘いとなる。
しかしヒットラーでもあるまいし、民族根絶やし等は出来るわけがない。
それは何を意味するのか。
国を潰しても「闘いは終わらない」という事だ。
個人個人が出来る攻撃はたいした事は出来はしない。
せいぜい爆弾を持って飛び込む程度だ。しかしそれは平和な社会に生きている
我々にはとても恐ろしい対象となる。政治的な影響は確かに出る。
 
この問題が含む事実としてもうひとつ。
攻撃が「匿名性」を帯びてきているという事。ゲリラ化しているわけだ。
攻撃者は全くの国民のふりをして行動する。だから攻撃する瞬間まで相手がわからない。
しかしこれはヨーロッパなどでは有効だが日本のような島国だとどうなるだろうか。
海外からの来訪者はとても目立つ。ヨーロッパのような状況とは多少違うかもしれない。
しかし隣の外国からの来訪者を疑うような、そんなライフスタイルだけはしたくないものだ。