愛と依存は両立するのか

あなたは本当に冷たい人ね


と、いつも、いつも言われ
電車に乗ると考え事もまとまるからと
東海道線に乗りながら外を見ている。


愛している人に依存されることを拒否し
『愛』だけを求めていたが
じゃあ愛とは何だろう?


僕達は一人では繁殖出来ないが
それならセックスだけして別れればいい。
子供が育てられないなら
それを手伝えばすむ。



人はいつも、最後は独り。
その為の準備をしておかなければいけない・・・と


ようはマイナス思考なのだ俺は。


いつも最悪のパターンに対処できる事を考えている。

しかし今の日本人の多くは最高のパターンを目指す。
能力を磨く力があるが、同時に弱点を治す力に欠ける。
弱点の補完として、身近なパートナーの助けを必要とする。
だから失った時のダメージが大きく
崩れ落ちるのだろう。


結局、私は、崩れ落ちるパートナーの姿を見るのが怖くて
その前に突き放す臆病者だったのかも知れない。



愛する人と融合して、仮に愛する人が死んだ時
身体の半分を失う事を、怖がっていたのではないだろうか。




今でも本当は怖いけど
『それも良い』と思えるようになった。


愛する人の為に、身体を失うなら
その痛みが、愛する人を思い出さすだろう。
それは心地好い痛みかもしれない。


今の俺は強すぎて

痛みが無さ過ぎて

感動が少な過ぎる。



死ぬ時ぐらい、好きな女の名前を呟いて死にたいと思っただけだ。


今はただ好きな人の思いを募らせながら
ただただ、好きだとうまく伝えられなくて
レールの上で頬杖をつく乗客だ。

帰路はまだ長い。