それは孤独な闘いでもある

友人の面接交渉権について完全に相手側が義務を無視し
連絡を断ってきた。
徹底抗戦に入るしかない。
いんなみさんが丁度よく似た状態になっている事をトラックバックで知らせてくれた。
民事執行法に基づく間接強制の執行」
こちらが友人の為に行なう請求もまさにこれだ。
●(間接強制)第172条 
作為又は不作為を目的とする債務で前条第1項の強制執行ができないものについての強制執行は、執行裁判所が、債務者に対し、遅延の期間に応じ、又は相当と認める一定の期間内に履行しないときは直ちに、債務の履行を確保するために相当と認める一定の額の金銭を債権者に支払うべき旨を命ずる方法により行う。
 
要は子供の面接交渉を履行しなければそれ相当の額を債権者に支払えという法律である。
 
ところがこれには実は大きな問題もある。
面接交渉権は本当に親の権利なのか?という事だ。
これにはいろんな説がある。
 
別冊ジュリスト家族法判例百選[第5版]P108
最高裁昭和59年7月6日第二小法廷決定
 
1・親の有する自然権ないし固有権。親子関係から当然に発生する。
2・抽象的には親として有する自然権。その具体的内容は監護に関連する権利として父母間の協議または家庭裁判所の調停・審判によって形成される。
3・監護に関連する権利
4・親権・監護権の一部
5・子の権利でもある
 
以上が面接交渉権の権利として考えられる最高裁の考え方であるが
●面会権なるものは法律上の権利に該当するものと解することはできない。
 (大阪高決昭和43年12月24日、家月21-6-38)
という解答を高裁が出している。
もちろんこれは最高裁判決ではなく、いくらでもひるがえるわけだが
無視出来ない判決であることは間違い無い。
(ただし個人的には最高裁判決の方があとである上に特段の答えは出していないものの
この5つの中で権利を考えるのが妥当だと私は考えている。さらに面会権と面接交渉権が言葉の不一致から別のものだという考え方もある。なお面会権なるものは法律用語辞典には掲載されていないため詳しくは不明)
 
さて面会権をひとまず置いておいて、面接交渉権が親の権利と成りうるのかという所が重要になってくる。
最高裁判決としては親の権利として受け取っていいのではないだろうかと考えるが
監護権や親権の一部として認定される裁判官の場合にはこちらの権利として主張して
間接強制が出来なくなる事も考えられる。これは蓋をあけてみないと私にも分からない。
 
また子の福祉を盾に拒絶された場合には面接交渉権が非常に弱い立場になる事は否めない。
例えば相手側に再婚相手がおり、子供を養子にしてしまっている場合に
子供が混乱を来たす状況に陥る事を防ぐ観点から、面接交渉権の制限をかける事がある。
これに関し最高裁は「違憲では無い」という判決を出しており
覆す事はまず難しいだろう。
このように面接交渉権が明文化されていない現在、いかに弱い権利であるかが分かると思う。
しかしながら子の福祉とは「監護する親の意思」でどうにでもなってしまう事も裁判所側は理解しており
あとは裁判をする上でのテクニックであろうと私は考えている。
 
しかしいかに自分の子供であっても強引な面会はやはり道徳上許されるものではない。
子供の立場を最優先的に考えて請求はしたいものである。