社会が悪くても、責任は君にある

生産関係という経済用語がある。

我々が使う道具のほとんどが
全くの他人が作っている。
そして、それは網の目のように綱がっており
99%が接続している。
自給自足している人はほとんどいない。

例えば東京電力の今回の事故は
関東の人間の責任だと批判があるが
東京の生産は日本全国に利益をもたらしている。
東京電力の責任を、関東に負わすなら
関東の責任は、日本全国の責任ともいえる。
日本の生産は世界中に、特に自動車として利益をもたらしている。

では日本の責任は、世界中の責任だろうか?


東京電力の責任は、あくまでも東京電力の責任だ。
もっと限定すれば東京電力原子力部門の責任であろう。
さらに限定すれば原子力部門安全課?になるはずだ。

責任を広げてはいけない。
役割を分担して、経済活動をしている意味がなくなってしまう。


この、多数に責任を広げようとする動きは
何かに似ていないだろうか?
それは病気だ。
病気を治す手段は、治癒、病原の切除のふたつ。
全身にまわる前に切除か治癒させないと大変な事になる。
小さな細胞なら切っても生きていけるが
重要な臓器、四肢を切ったら命に関わる。

責任論を展開しても、ダメージを全身に広げる効果しか無い。
全身まわして毒を薄める事で自らの抵抗力を使い、病気を抑える手段もあるが
責任論の毒は薄まらない。



責任論を広めず、まずは止まった原発の対策を進め
次に復興のために活動をしたいと思うのだ。
責任追及はあとでも出来る。
いまはトラブルが起きた時の原則として
まずは対策、それが終った後で問題調査であろう。