ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 12使徒に思いを寄せる

全くの偶然だが地下鉄広告にジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画を見かけた。
芸術にはうるさいほうではない。出されれば楽しむというスタイルは昔から変化が無く
美食に関しても同じで、全てシェフのお勧めにまかせてしまう。それが一番だと思っている。
 
しかしジョルジュ・ド・ラ・トゥールだけは別物。子供の頃に一度見ただけなのにそのインパクトは
ピカソの抽象画をはるかに凌ぐ。それは蝋燭の炎。
その実物に出会えるチャンスがあるというのだ。あわてて国立西洋美術館に飛んでいった。
当然模写が多いし多くは復元したものである。しかしそれは贋作などとはいわせない独特の
オーラを持っていた。
ラ・トゥールは光源に非常に強いこだわりを持たせ、蝋燭やアトリエ(工房)の窓から
の光だけで絵を描く。
その夜の光景は恐ろしいほどのリアリティを持って私達を魅了する。
人の目は色、形、光に反応するが、例え色を失おうと形が見えなくなろうと
光は最後まで見えるのである。全盲の方でもかなり多くの方は光にだけは反応し
昼と夜とを区別できる。
人の目は光を最重要と認識しており、ラ・トゥールはそれを支配していたと言える。
それがいかに美しい絵を描くか想像にたやすい。
 
会場を出た後、私はまるで子供がアイドルの会場を出た後に売店に立ち寄るように
記念品を買っていった。ポストカードを全種類くれだの、ポスターの保護できる筒は無いかだの
色々無茶な注文をつけていたのは私である(笑)
たぶん二度と来ないジョルジュ・ド・ラ・トゥール展示会で浮かれていたのだろう。
・・・・・・・・でも展示中にまた東京に行くかも。
きっとラ・トゥールに恋をしたのだなと思う。
 
ラ・トゥールの12使徒を眺めていて気が付いたことが有る。
それはすべての壁が左側だけ黒く、右側が明るい。
そしてモデルとなる人々はみな左側が明るくて左側に影が出来ている。
全てと書いたが、当然私が眺める事が可能な展示物に限る。
これが何を示しているかというと、そこは暗いアトリエで光源はたぶん画家の左後ろにある。
12使徒全てが共通しているとなれば、それは使徒にモデルがいて同じ場所で
デッサンしたに違いない。
影の大きさ、揺らぎが見られない事から昼間の窓かランプだろう。
蝋燭ではありえない。
ランプが光源だとしたら、壁に明かりが反射する。ラ・トゥールがそれを見逃すとは思えない。
ランプも違う気がする。
もしそれが窓であったとして、それは小さく、太陽の光を通すには不充分な窓ではなかっただろうか。
教会であれば光は当然に多く取りいれて、それを神格化する。教会等では決して無い。
 
 
私はラ・トゥールの土地に知識が無いのでこれ以上は分からないが、あそこはアトリエか工房だろう。
その工房を想像するだけで、その夢が見れそうな気がするのだ。
そのアトリエでどんな会話を交わしていたのだろうか・・・・・・・・・・。