声が出ずば闘えまい

「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉がある。
ようは黙っていれば災いは無いという事だ。
 
 
おふくろが遊びに来た。
おふくろは面白い人だ。しかしとても短気でもある。
 
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
母はそう言うと笑って私を指さした。怖い冗談だ………
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス
これが私の考え方だ。
 
このまま行くと娘は
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス
となるのだろうか。
 
最初の話しに戻る。
失声症の患者の多くはストレスから声を出せなくなる。
正確には声を出さないのだが、それは無意識がそうさせているので本人のせいではない。
それは最初の言葉、雉も鳴かずば撃たれまい、そう考えているのであろう。
これは私も良く人にそれを勧めている。
いじめられたくなければ「目立つな」という事だ。
目立たなければ苛められる事は無い。イジメとは本人が気がつかないうちに目立っているのだ。
 
しかし時に目立つことも必要だ。
自分の意見をはっきりと主張する為に目立ち、大声をあげることがときに必要だ。
 
私の知り合いのつてから、TVの閲覧者を募集しているという事で話しがあった。
障害者の雇用についてらしい。
最初興味があったのだがよくよく聞くと
「閲覧者やゲストで議論していただく」という事だ。
これは行くしかないでしょ!!すぐに返事をしてスケジュール調整をする。
 
しかし声が出ないのだ。私は今、失声症の患者なのだ。どうする?
悩んだ。手話?筆談?PCを持ち込む?
それでは議論にならない。円滑な議論の邪魔になる。
声が欲しい
ひたすら声を望み、どうしたら声が出るようになるのか考える。
最初の言葉が頭によぎる。
雉も鳴かずば………だがもうそこは戦場だ。
声は弾丸だ。
疲れから睡眠にはいるが、3時間で目が覚める。
ひたすら声について考える。
風呂の中で閃いた言葉がタイトルの言葉だ。
 
 
声が出ずば闘えまい
 
 
声が出ずば闘えまい
 
 
「声が出ずば闘えまい」
 
 
「声が出ずば闘えまい」
 
 
言葉にしてみる。
 
何度も繰り返し、闘争心を奮い立たせる。
肺の中から空気を取り入れ、口を通し、それに喉の変化で音をつける。
「声が出ずば闘えまい」
音になる事を確認し、自分で意識して言葉にする。
「声が出ずば闘えまい」